ドラえもん のび太の恐竜2006

まさか、この年になってドラえもんが観たくなるとは思わなかった。日頃から過去作のリメイクの類は気になったりするのだけれど……でもまあ、観にいくことはなかろうと思っていたのに。結果的に、素晴らしいと評判の作画に背中を押された感じ。未だに作画なんてわかりゃあしねえのに、そんな理由で観ようとは。
で、どうだったのかといえば、これは子供向けとバカにできないなと思った。声が変わってからのドラえもんが賛否両論なのはよく知っているし、未だ抵抗がある人が多いのもわかる。でも確かに、この作品は、「映画ドラえもん」だった。逆に、そのことに驚いた。やってくれる。
確かに、首をかしげるような所は目に付いた。「ドラえもんのうた」はどうしたんだよオイ、とか、神木隆之介のピー助は演技的に……とか。しかしそれも、大山ドラで育ってきた自分の勝手な考えが割り込んだものなのかもしれない。「ドラえもんのうた」がないのは寂しいけれど、今のちびっ子は別に寂しいとも何とも思わないんじゃないか?ピー助の演技も上手いとは言いがたいけど、ちびっ子がドラえもん観て演技なんか気にするのか?そんなことを考えるのは、自分が成長し、一種の邪念を持ってしまったからではないのか?……そんなことも考えてしまった。あのころにはもう戻れないんだな、と思った。寂しくなった。あの頃の俺はゲスト声優の演技なんて気にしていたか?あの頃の俺は……。純粋にドラえもんすら楽しめない自分に気付いて、愕然とした。
そういう意味では、「ええい!大山世代はいい!今の!今のちびっ子に捧げてやるんだ!」という、ある意味割り切った作品になっていたのだろう。邪念を振り切ったあと、自分はあの頃に少しだけ帰れた気がした。スクリーンには、あの頃夢中になったドラえもんの世界が、今も変わらずに広がっていた。キャラクターたちは、変わっていなかった。「すこし・ふしぎ」の冒険。タヌキと呼ばれて怒るドラえもん。あれでもないこれでもない、とひみつ道具を放り出しまくるドラえもん。相変わらずの、のび太ジャイアンスネ夫の関係……。何も変わってはいなかった。変わってしまっていたのは、自分だった。
童心に返った、とはこのことだろうか。大冒険を終えて、日常に彼らが帰っていく。エンディングが流れ始めた瞬間、胸が熱くなった。スキマスイッチによる主題歌が、また名曲で……。劇場が明るくなって、自分もまた日常に帰ってきた。
この映画を作った人々に感謝の言葉をどうしても述べておきたい。ありがとうございました。来年も、劇場まで観に行きます。